金銭目的ではない
しかし、批判の中にも明確に否定しておきたいこともあります。本ブログが営利目的であるかのような指摘もありますが、これだけは否定しておこうかなと思います。残念ながら本ブログがお金儲けになるようなアクセスを集める媒体ではないことは断言しておきます。
確かに広告を掲載しているので、わずかな収入にはなりますが、その収入は本ブログを運営するためのランニングコストなどに消えていきます。月々かかるレンタルサーバのレンタル費用、ドメインの更新や手続きなどにかかる維持費用を支払い続けるために費やされ、ブログを書き続けるのに必要なパソコン代をまかなうことすらできておらず常時赤字です。
もし、将来的に月に何十万PVものアクセス数を集めるようなブログになれば、それなりの収入にもなるかもしれませんが、他のホームシアターやオーディオなどのAV機器をレビューしている個人ブログを見ても、何十万PV/月レベルに達しているものは数少ないですし、私の体験をつづるだけでは達成は難しいでしょう。
ブログを書くために余計な買い物をしているという一面もありますし、冷静に分析していただければ、弱小ブログを運営してお金儲けを考えるくらいなら、やめて節約した方がよほどお金になるってことは分かると思います。現実は甘くありません。
ブログ運営の先にあるもの
そうはいっても批判的な方々は納得しないでしょうし、私の真意を説明しても聞く耳も持っていないでしょうから、これ以上その方々に対してどうこう言うつもりもありませんが、1年経って、私が目指していたものの一片ほどの片鱗は見えてきたのではないかと思うので、少し触れておきたいと思います。
ブログ運営にかかわるWEBサービスの知識やスキルを身に着けることは当初掲げたとおりですが、何のためにブログを続けているのかといえば、それは私自身の可能性の拡大ということになるかと思います。本当の意味での目的はブログを長期運営しているからこそ手に入るものにあります。
情報発信が生む副産物
私は元来情報発信をするのは苦手なタイプで、個人名でもFacebookやTwitterなどのSNSは使っていません。一応アカウントは持っていますが、投稿は1つもありません。それはプライバシーを守りたいという側面が強いのですが、そのプライバシーを守りつつ、自分の存在を広い世界に発信し認知してもらうことで、対外的にどんな変化が起こるのか、自分の中でどんな変化が起こるのかを見てみたかったのです。
ブログやSNSによる発信で得られる読者との関係性というのは、普通に社会人として過ごしているのでは得られないものがあります。
例えば、私がブログで「こういうアイテムを求めている」と公言すると、「こんなものがありますよ」「持っているのでお譲りしましょうか?」と紹介や打診いただけることがあります。私自身の知識や知恵だけでなく、人の知識を借りることができ、それまで全くつながりのなかった方々から善意を受けることができるというのは、情報発信をしているからこそ、という気がします。
社会的な定義、肩書の効用
また自分を社会的、客観的に定義する形容詞や肩書を作ることができるのも魅力です。普通に会社員として過ごしていると、我々が持つ肩書というのは「○○会社の□□です。」といったように会社や所属団体ありきのものとなります。
これはこれで他人に説明するときにはわかりやすいですし、その大きさゆえに社会的信頼は得られますが、その肩書となる会社を調べても私という人間を説明してはくれません。会社という存在が大きすぎて、私という存在が埋もれ、会社を離れれば自分を社会的に定義する肩書を失います。
このことについて「自分は会社を辞めたら何者といえばいいのだろう?」とふと思ったのです。
しかし情報発信をする媒体を持っていると、ユニークな個人の肩書をもつことができ、限られた世界ではありますが、私が説明しなくても、私という人間の考え方、やりたいこと、やっていること、好き嫌いや、人柄などの一端を知ってもらうことができます。そしてその情報発信媒体の認知が広がれば、自分を説明する必要がなくなり、一つのブランドになります。(そこまで大きくなるとは思っていませんが。)
私が一人一人に説明する手間をかけることなく、私のブログを読み、私の一端を知った方から先にあったような情報提供などがもたらされるというわけです。
そしてこの個人を定義する肩書を持つというのは心理面でも心の余裕を持たせてくれます。会社という組織の中にいると、時に自分の意に沿わない自己矛盾のある行動をとらざるを得なかったり、政治的な動きに翻弄されたり、それによって行動が消極的になったり、攻撃的になったりしてしまうことがあります。
私にとってこの自己矛盾を生む行動やつまらない駆け引きは、無意識に自己否定として蓄積し、政治的駆け引きによって、目的と手段が入れ替わり、迷路に迷い込むことになってしまって、精神的にも肉体的にも疲弊してしまいます。
しかし会社とは違った社会的な肩書を別に持っていることで、自分を支える柱が2つ以上になり、自分の判断の基準を会社ではなく自分に取り返すことができます。これによって本当にやりたくないことをしないという選択肢を採用する余裕が生まれ、つまらないことに悩むことが少なくなりました。
そしてこういう精神的にいい状態を保っているときは、その時々に必要なものが向こうからやってくるようになります。
コメント
Herさん、こんばんは。
ブログ開設1年おめでとうございます!
何事も続ける事が一番大事とわかっていても中々実現出来ないもんです。面倒くさがりの私からするとHerさんは尊敬しちゃいます(^_^)
世の中はほぼほぼ主観で判断しちゃってますから、実質は?とか本当の目的は?とかは考えてないもんだと思います。だからと言って全てをさらけ出せるか?と言うとプライバシーとの兼合いもありますし難しいもんですよね。
中々理解出来ない方もいらっしゃるやもですが、今は匿名性を維持したままでも自己のブランディングが出来る時代です。私は今後もHerさんのブログを応援して行きますよ(^O^)負けるな!ガンバ♪( ´θ`)ノ
おいけさん、コメントありがとうございます。
おかげさまで1周年、毎日更新を続けることができました。
自分がどう考えているのかを説明を尽くしても、否定が前提の方々には受け入れられないのでしょうけれども、100%味方というのはまずありえない話ですし、アンチの力もうまく吸収していけばいいかと最近は思うようになりました。
応援していただけるのも、情報をいただけることも、たびたびコメントを寄せていただけるのもとても励みになります。ありがとうございます!
再レスをお許し下さい。
以前勤めていた会社の社長が良く「ピンチはチャンスである」とおっしゃってました。
クレームや批判は確かにネガティヴな要素が強いと感じますが、その中にも有益な物もある可能性があると考えればむしろ有難いものなのかも知れませんね。
私のような心の狭い人間は単純にヤダなぁ〜〜となっちゃいますが(笑)
ネットでの繋がりとは言え、こうして人同士が同じ話題を共有してお互いに高めあえたら最高じゃないですか!
こちらこそ、これからもよろしくお願い致します!
おいけさん、再レスありがとうございます。
「ピンチはチャンスである」は確かにそうですね。
話題にしてもらえるということは、認知されているということであり、それがさらに認知を広げる意味合いも持っています。批判の中には役に立つ改善点が記されていることもあります。
結局、人の捉え方次第ということなのだと思います。
ポジティブな面もネガティブな面もネットのつながりだからこそですね。